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メルマガ③ メンバーのつぶやき

活動報告 超ISOメンバーによるつぶやき 第13回 飯塚悦功

2016.10.30

 

超ISO企業研究会会長の飯塚です.「つぶやき」第一ラウンドのトりを務めます.

 

 

 

■私と標準化・認証

 

私は長いことISO/TC176の活動に関わって来ました.最初に参加した国際会議は1985年の東京総会です.

最盛期には参加者は300名以上に膨れあがりましたが,このときは50名程度で,かわいいものでした.これ以降,TC,SCの総会を始め,担当するグループの会議にはほぼすべて出席しました.

1987年にISO 9000シリーズ規格の初版を発行したあと,次の世代のQMS規格をどうするかという議論が始まりましたが,だんだんと深く関わっるようになりました.

 

この時期,QA-QMタスクフォースという,品質保証と品質マネジメントの概念整理をするグループでの議論や,2000年改訂に向けての幹事会のため,年に数回になることもある会議をこなしていました.

 

ISO 9000シリーズ規格の2000年改訂を担当したのは,メンバが100名以上にもなるSC2/WG18でした.

途中からWG18の副リーダになり,規格開発の手練手管を見よう見まねで学びました.副というのは,普通は事実上何もしなくてよい楽なポジションのはずですが,リーダが時々欠席してしまうものですから大変でした.短時間のうちに閉会時の報告スライドをまとめ,予定した議決(Resolution)を承認してもらわねばなりません.

2000年の京都会議の終了後に久米先生から国内対応委員会の委員長を引継ぎ,2012年に中條先生にバトンタッチするまで,なにやかや忙しい年月を送りました.

 

ISO 9001を基準とするQMS認証には,日本での制度立上げから関わりました.1993年11月にJAB(認定協会)が発足しますが,その前3年ほど制度設計に関係しました.

直接的には,海外の制度の調査をするWGを担当し,欧米への調査の計画・実施を行いました.

印象に残っているのは,認証制度の基本的骨格として,イギリス方式とスイス方式のどちらにしようかと悩んだことです.

イギリス方式というのは現在の方式です.スイス方式というのは,1年半ほど指導をして,修了証のような性格の認証を授与するというものです.

コンサルをしてあるレベルになれば認証を与えるというものですから,いま問題になっているコンサルとの水面下のつながりなんて問題にしていませんでした.

イギリス方式を選んで正解とは思っていますが,もし世界がスイス方式の認証制度を採用していたら,どんな世界になっていたのだろうかと,期待と恐怖に満ちた思考実験を楽しむこともあります

 

その後JABとは,MS認定委員会の委員長を長く務めるという関係がありました.2000年ごろからです.転換期ということがあったのかもしれませんが,一時停止とか保留とかを適度な頻度で行ってしまった“やっかいな”委員長でした.

 

いまはMS研究会に統合されていますが,QMSとEMSを別々に運営しているころのQMSの公開討論会や研究会の主査も長く務めました.

 

この間に,基調講演で物議を醸すようなことを何度か言ってきたのですが,ほぼ無視されるか理解されませんでした.2012年に評議員に任命され,これまでとは別の角度からJABを見るようになりました.そして2016年6月に理事長になりました.

 

 

 

 

■ISO 9000規格審議への参加を通じて

 

こうして長いこと,ISO 9000シリーズ規格を審議するISO/TC176の国際会議に参加してきて,いろいろな経験をしました.

 

TC176は,PC176(TechnicalでなくPolitical Committeeの意味)と揶揄されるくらい,何らかの提案があったときにその政治的背景を読まねばならない技術委員会です.だからこそ,いろいろ学びました.

そして,国際標準化や国際的認証制度のありようによっては日本が被害を受けると危機感を感じ,関係者の理解と支援を求めてきましたが,はかばかしくありませんでした.

 

多くの方は,「どんな規格になったか」に関する情報には強い関心を示しますが,「どんな規格にすべきか」に関してこれといった主張を持っているわけではありませんでした.

こうした議論に必要な“専門家”と“資金”を投資しようというよう経営者も極めて少ないのが現実でした.

 

ISOの国際規格のなかで“システム”に関する規格はめずらしいものでした.ISO 9000規格がその最初でした.

ISO 14000シリーズ(EMS)も加えた2つの分野の規格の普及と,その後の多様な分野のマネジメントシステム(MS)規格が国際的に注目されています.

私が参加していたTC176に大学人はほとんどいません.ISO 9000が隆盛になる前は,日本からの代表のほとんどは大学人であり,他国から見れば,なぜ(実業界の)品質の専門家が来ないのか?と不思議に思われていました.

 

モノの規格を定めるときには,ビジネス上の利害関係が明確であるので,かなりの人を送り込みます.しかし,MSマネジメントシステムの規格の審議に,積極的に人を送り込む企業はほとんどありません.

ISO 14000規格や従業員労働安全衛生マネジメントシステム規格の必要性が検討されたとき,これは「南北問題」の一つなのだとの論もありました.開発途上の国々の企業にも環境や労働安全衛生に関わる費用負担をかけないと“公平な競争”にならないと,さるヨーロッパの国々は考えていたということです.

 

それほどえげつない言い方をしなくても,マネジメントシステムに関するグローバルスタンダードを基準にした認証制度ができ上がると,基準となるモデルに自然体で対応できない国や地域が不利になることは間違いありません.

 

 

 

■強さはルールで変わる

 

誰かと競っているとしましょう.自分が不利であるとき,皆様はどうなさいますか.不利である要因を明かにし,実力をつけるというのが通常の日本人の考え方だろうと思います.

 

では,論理,政治,何でも使って,強引にでもいまの自分が有利になるようにルールに変えようと提案することは,許されないことでしょうか.

潔くない,見苦しい考え方と軽蔑される方もいらっしゃるでしょうが,何らかのルールを決めるということは,自分や他人の強さを決める基準を定めることになるということを忘れてはなりません.

 

どのような基準でも圧倒的に勝てる実力をお持ちならよいですが,通常はそんなことはありません.スポーツの世界で,採点や判断の基準を変えたり,用具に関わる制約を変えたり,新たな禁じ手を設けることによって,強さが変わることは容易に想像できるでしょう.

グローバル化した世界において,国際標準化というものは“きれいごと”ではないことを明確に認識した方がよいと思います.外交の根幹は,自国の有利になるようにあらゆる手練手管を使うことにあります.

国際標準化もまた,自国の有利になるようにあらゆる策を弄して,国際的なルール作りを進めることであると腹をくくる必要があります.

 

“ファクト(事実)重視の国”日本では,目の前の事実を皆で確認したら,大した論争もせずに落ち着かせるべきところに落ち着かせる穏やかな人種です.

 

国境を自由に変えうる地域の“フィクションの国”の人々にとって,論争は日常茶飯です.言うべきことは言い,不利な状況を何とかして有利な状況にもっていこうとします.

標準化,すなわち関係者が守るべきルール作りが,実は競争優位要因になることを,現代の経営者は肝に銘ずべきです.このルールを自分の都合のよいルールにするよう立ち回ることは,正当な権利だと思います.

 

 

 

 

■自律型文明への脱却

 

 

「国際化」とは何でしょうか.日本は,国際化とは,国際的といわれる諸々を“受け入れる”ことだと思ってきたふしがあります.実際,国際化と言われて,フツウの日本人が最初に思い浮かべることは「対応」ではないでしょうか.あるいは「整合」でしょうか.

 

例えば,ローマ字表記を使い,英語を使いこなせる人を増やすことだと考えるのではないでしょうか.

「国際協力・国際貢献」と称して,多少の無理をしてでも協力し,損をしてでも良いもの・良い方法を提案・提供することだと考えるのではないでしょうか.実に美しいとても“良い人々”の集まりです.

 

誰かと競っているとしましょう.自分が不利であるときどうしますか.不利である要因を明かにし,実力をつけるというのが通常の日本人の考え方でしょう.

では,論理,政治,何でも使って,強引にでもいまの自分が有利になるようなルールに変えようと提案することは卑怯なことでしょうか.

 

日本には,いまでも舶来信仰が根強く残っているように思います.

美人を誉めるときの「日本人離れした美人」という言い方は,あまりにも自虐的すぎると思いませんか.

「日本語は原始的言語だから仕様を明確に書けない」なんていうソフトウェア工学の先生もいます.

 

冗談ではありません.日本語は「主語+述語」という文法構造ではなく,「主題提示+叙述」という形式を取る言語です.

「リンゴが好きだ」とか「ゾウは鼻が長い」とかは,明解な日本語と思いますが,主語にあたるものがありません.

 

英語では,晴れているとき,なんでまた“It’s fine!”などと“it”という神様を主語に据えて表現しなければならないのですか.

 

日本語なら「天気が良い」です.

こちらの方がずっと明解な表現と思いませんか.きちんとした仕様が書けないのは,日本語のせいではなく,その方のオツムのなかが構造化されていないからに違いありません.

日本はこれまで「追いつき追い越せ」で頑張ってきました.

これが災いしてか,日本人は,自分で価値基準を作り他人に押し付けることを遠慮します.

 

慶応大学名誉教授,言語学の鈴木孝夫先生は,「他人の基準で自分を測り,己が至らなさにヨヨと泣き崩れつつも,憤然と努力するマゾ型精神構造の国,日本」と仰いました.

 

相手を理解し尊重することは必要です.

でも,相手もこちらを理解し尊重する義務があると思います.となれば,他国を自分の流儀に染めることもまた国際化と言ってしかるべきではないでしょうか.

 

そうです,国際化とは,外国の諸々を受けいれるばかりではなく,「日本の輸出」も含まれているのではないのでしょうか.

 

世界を日本色に染めることを国際化と言ってはいけないのでしょうか.「国際協力・国際貢献」によって,その分野のレベルが国際的に向上し,インフラ整備が進み,日本が活動しやすくなることを主眼に置いてはいけないでしょうか.

 

もっと直接的に,「協力・貢献」と称して,日本流を押しつけてはいけないでしょうか.

いま日本の政治,経済,社会のあらゆる場面で「自律」が望まれています.追いかけることが唯一の戦略であった時代への決別と,自ら価値観を定めることのできる日本への転換が叫ばれています.

 

国際標準化・認証戦略もその線上にあります.国際的ルール作りへの積極的関与を前面に押し出して,人と金をつぎ込まないと,日本は側面からも撃破されかねません.

 

(飯塚 悦功)

 

 

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